河を眺める。しばらく眺めて、不安と孤独が秋風に乗ってやって来た時、ぼんやりと昔の先輩の言葉を―正確には文章であるが―思い出す。丸坊主で眼鏡を掛けており、細身ではあったが体は引き締まっていた。腕立てをすれば、ほんの少しの時間だけは日本兵を思わせた。口数は少なく、自ら動き出して何かするところは見たことがなかったが、言われたことをやらなかったことも見たことはなかった。指示された仕事に対する正確性と熱量は、自ら動き出さない、発さないと云う弱点を遥に凌駕しており、指示された物事から連鎖的に必要だと思ったことを自ら考えてやることができた。 彼が自らの思考を吐露するのは文章という形のみであった。それ以外の方法でも試みていたのかもしれないが僕には文章という形でしか、彼の心情を読み取ることは出来なかった。彼はある時書き記した文章の中で、人生と云うものを、よく例えられる道ではなく、河に例えた。 「なぜなら…人生は後ろを振り返ることができても決して後ろに戻ることはできないし立ち止まることもできない」 そして彼は、人生と云う河を流れる人類のことを 「人生という薄暗い大河に船を浮かべる船頭…或いは、…流されていくだけの落伍者」 と評した。受動的で無思考な彼は後者の立場を取った。 もう彼には誰も連絡を取るができない。全てはこちらからの一方通行に過ぎない。配線が誰かに切断されてしまったみたいに、ある場所から僕の声は届かなくなる。河を眺めることでしか彼と話すことができない。 僕はこれからも河を眺める度に彼を思い出すし、彼を思い出すために河に向かうだろう。
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