天橋立原始的回転運動ノ巻

 2020年の2月が終わる頃、
 自分が住んでいる京都市内から日本海まで自転車で旅をしたくなった。
 中学生の頃にシクロクロスバイクに乗っていた。その頃は実家のある奈良に住んでいて、友人と京都の嵐山まで行ったりしていた。しかし、最長でも嵐山程度までしか行けなかった。(途中で宿泊するという考えをなぜか持っていなかった)。本当はもっと先に行きたいと思っていた。今回の旅は、中学生の自転車旅の延長にあったとも言える。
 仲間3人に声をかけ、パーティーを結成した。
 
 距離は137.5km。短調に向かうだけでは面白くないので、ルールを3つ設定した。

1.電子地図を使わず事前の地図把握と標識をメインで使い、紙地図を用いて現在地を把握すること。

2.コンビニや自動販売機等のどこにでもあるチェーン店は使わずに地元に根付いた個人商店や道の駅を使うこと。またそこで購入するものもできるだけ現地のものにすること

3.持ってくるレーション(行動食)はカロリーメイト等のすぐに買えるものではなく、自らおにぎりを握ってきたり果物を持ってきたりすること。 また400kcalに制限し、行動食の貯蓄をしないこと。

 おそらく⾃転⾞は⼤きな事故がない限り時間と労⼒をかければ達成できる。今回の自転車旅では天橋⽴についた時に初めて旅の達成感が得られるわけだ。しかし、その過程にどれだけ⾃分たちが関与できるのかというのは疑問であった。
 そこでルール(制約)を追加することで過程にもより深く関与できるのではと思い⽴った。深く関与するというのは⾃分の⾏動を⾃分の⼒をはるかに超える機器等に頼らないことである。距離や⾼低差、場所だけで遠征の良し悪しを決めるのではなく、こうした制約を取り⼊れることによって定量的な価値だけではなく定性的な価値が⽣まれる。
 情報があふれる中誰もが同じように同じ結果を得る確率が⾼くなったからこそ、そこに付加価値をつけることで差別化を図り、僕たちならではの価値を⽣み出せるのではないか、そう思った。

それぞれのルールがどういう結果をもたらしたのかを記していく。

1.デジタル地図禁止
 まずメンバーのルートの事前把握が見事であった。各々、道の駅や個人商店がどこにあるのか、主な分岐はどこかなどを紙や携帯のメモに書いて来ていた。携帯ではなくあえて紙にメモしてくるメンバーの姿勢は素晴らしい。出発前に「あそこに〜があるよね」など、口頭で確認し合う作業も楽しかった。皆自分が調べて来たことが間違っていないかという不安を打ち消しあっていた。道の駅では紙の地図を広げ現在地の把握と次に訪れる分岐の確認を行なった。

 途中でチーム内での距離が離れ電話で連絡を取り合った(本当は使いたくなかったが)際にお互いの見えている風景を言い合うのだが記憶が曖昧で教えられる風景を通り過ぎたのかもまだ通り過ぎてないかもわからなかった。最終的には合流できたのだが。このことから普段走っている最中に分岐や標識、携帯の現在地を目印にしており途中のお店や看板を全く重要視していなかった(記憶していなかった)ことがわかった。紙地図を使用していた今回の旅でさえ、景色に対する意識を変えることはできなかった。電話がある、迷っても死に直結しないコンクリートの上を走っているという安全環境がそうさせたのかもしれない。終盤にも現在地を見失うことがあった。この時は警察署に入り、そこにあった現在地が示された地図を確認し天橋立まで行くことができた。

 このルールにおいて良かった点は全員がルートについて詳しく知っていた点である。デジタル地図を使わず不確定な要素を増やし行き当たりばったりでバックパッカーのように気の向くまま風の吹くまま、冒険だといって行動するのとは違う。それだと遠征の質は客観的に見ると悪いものになってしまう。道の駅の場所など少し調べればわかることに、初めてのように驚いていては自分たちの中では価値や喜びが高くても客観的にはそれほどすごいことをしていないのである。調べた上で現地に行って、その上で思いもよらぬところから訪れるアクシデントにどう対処して乗り切るのかというのが冒険の面白いところなのである。現地で使用したのは紙の地図だが、事前の情報収集はネットを使用していた矛盾に後になって気がついた。次機会があれば、その辺りも徹底したい。

2.コンビニやチェーン店の使用禁止
 このルールではどこにでも止まれない分、道の駅や個人商店を見つけた時のチームの喜びは大きく、またそれがモチベーションとなり走行スピードも良好であった。また公衆トイレの前で水を調達したり、アイスを買うと水が無料になるといって水を調達したり、提案止まりであったが魚屋さんに行って魚を冷やしている氷をもらって溶かして飲もうかなど考えたりとチェーン店が使えないなら使えないなりの工夫が見られ大変良かった。

 問題点としては些細なことだが、道の駅に水が売っていないことがあった。なぜなら道の駅にある自動販売機で販売しているからであった。自動販売機の禁止をルールとして定めていた私たちは困惑してしまう。ここまで頑張って走ったのにと。結局道の駅の自動販売機でも水を買うことはなく最後の2時間ほどは水無しで走る部員もいた。その辺の川の水やトイレの水道の水を飲むワイルドさは僕たちにはまだなかった。
 道の駅で何を購入するのかも重要な点である。私たちは水を除くお菓子等のどこでも買えるものではなく、地域の牛肉を使ったコロッケや手作りのお稲荷さんやクッキーを購入した。

 ルールの中で地元に根付いた店と書いたが、一体地元に根付いているとは何なのかと言うところが何度かチーム内でも話題に上がった。例えコンビニであってもその地域に建っていればそこに根付いているのである。これは少し屁理屈気味であるが最後まではっきりとはしなかった。


3.レーションのこだわり
 このルールはせっかくチェーン店を使わないのだから、出発前からルールを守ろうという考えであった。400kcalに制限することで、道の駅等で調達する余白を残した。食パンや手作りおにぎりバナナにリンゴ、納豆(なぜ)を持って来ているメンバーもおり多種多様で面白味があった。宿泊や気温が上がると難しくなってくる部分もあるが人工的に作られたものより美味しいのは確かである。



 便利なものを取り入れていくと目的達成は容易い。
登山もお金をかけて軽量の装備を揃えて山小屋に泊まりG P Sで現在地を確認しネットで明日の天気を調べれば遠征の達成確率は高くなる。今回のように、便利なもの(デジタル機器など)を使わないと目的達成は難しくなっていく。どちらかに価値があると言うわけではないが、今回はそのバランスが取れたサイクリングだった。過程に関与したいのなら地面と私たちを介在している自転車を取り除いて食料を最初から全て持っていき徒歩で天橋立まで行けば良いことになる。しかし、極論で話を終わらせてほしくはない。自転車と言うジャンルの中で今回できる範囲での便利なものを排除した。

 昔、知人に登山で山頂近くまでヘリコプターで行って登頂しても登頂なのか。登山口まで車で行くのはルール違反なのではと。位置エネルギーが大きければそれで良いのか等いろいろ問い詰められたことがある(なぜそんなにも問い詰められたのかはわからない)。まあ、ついには根拠ないままにやんわりと否定しかできなかったのだが。結局は自己満足なのである。先ほども書いたように、便利なものは目的達成までの近道になり、その成功確率を上げてくれる。しかし、現代を生きる僕たちは目的達成までの手段を、ハイテクからローテクまで自由に選ぶことができる。選択肢の幅が広がった故、今回の京都市内から天橋立までの単純な足の回転運動の中に、様々な価値を盛り込むことができた。

 今回のデジタル・物質社会に対するゲリラ作戦はその融通性における価値を上記で述べたルールを設定した結果にて確認できた。
自分たちが普段住んでいる社会からある種逸脱、また身体表現によってそれを批判することで見えてくるものがあった。
仲間が持ってきた、ルートメモ
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