峰定寺御開帳

 京都北部の花背に峰定寺というお寺がある。
峰定寺の背後に聳える大悲山をご神体とする山岳寺院であり、京都市最古の木造建築物でもある。
岩壁に柱を立て、突き出した舞台を支える懸造りで建てられており、清水寺舞台は峰定寺を参考に建てられたと言われている。

 今年の9月、滋賀の葛川中村から八丁平、峰床山を経由し大悲山のバス停へ向かう山旅をした際に初めて存在を知った。
その時は、お寺が開門していなく、仁王門という本堂へと続く建物しか見れなかったのだが、その門周辺は僕が立っている世界とは違う世界だと思わせる雰囲気があった。その後、11月の3日間のみ御開帳されるという情報を得た。峰定寺はHPがなく、観光寺院でもないため情報は大々的に公開されていない。それもまた、このお寺の性格や良さを表している。御開帳とは、本堂まで登ることができ、収蔵庫にある重要文化財の千手観音像や金剛力士像も見られる日のことである。僕は3日間の最後の日に峰定寺に向かった。住んでいる大阪から京都駅に行き、七条でレンタカーを借りた。峰定寺までは2時間ほどのドライブだった。峰定寺の駐車場に車を止め、仁王門に向かって歩く。少し冷たい風が吹いていたが、日差しが暖かく、歩いていると心地よかった。紅葉は見頃で、寺谷川沿いの風景も美しい。
 社務所で受付を済ませる。ここで携帯やカメラは預けなければならない。峰定寺と周囲の自然、そして自らの身体に静かに向き合うために守らなければならないルールだ。財布と水だけを指定のバッグに入れ、杖を一本借りて歩き出す。
 まずは収蔵庫にある重要文化財を見る。目の前に千手観音像があり、不動明王及二童子立像や釈迦如来立像などが並び、左右の壁際に金剛力士像が立っている。千手観音の精密な造形に見入っていると、管理人さんが「座って見上げるようにするといいですよ」と教えてくれた。教えられた通り、座って見上げてみると、千手観音像の顔が、真面目な表情から柔からな笑みを浮かべた表情に変わった気がした。仏像のことは僕にはよくわからないが、こうして見上げる、また拝まれることを前提に作られているものなのだろうか。横に並べられた他の仏像も、全部したから見上げてみた。やはり同じように表情が変わる。仏像と僕を隔てる壁のようなものがなくなった気がした。鑑賞から共存に変わり、この短い間でずっと親しみを持てるようになった。
 収蔵庫から出て、仁王門を過ぎて本堂へ向かう。本堂まではおおよそ30分程度だ。急がず、できるだけ周囲の自然に目をむけ、感じながら石段を登っていく。寺谷川の支流沿いに道が整備されていて、イチョウやモミジが頭上と足元を彩る。六根清浄と心の中で唱えて登るのが良いと管理人さんに教わった。参拝客は少なく、この時間帯に山に入っていたのは3人ほどしかいない。大悲山山頂への登山道は数十年間通行止めのままだが、垂直の岩壁にかかった錆びた鎖だけが、かつての修行の厳しさを物語っていた。しばらくして本堂に到着し、靴を脱いで舞台に上がる。視界が開け、北山の山々が目の前に広がる。しばらく景色を眺めていると参拝客が来たので、入れ替わるように場所を譲った。この景色とは一人で向き合う方がいい。舞台の下まで降りて座れそうな場所に腰を下ろし、北山の自然を眺めながら短いあいだ瞑想をする。心と体がゆっくり整っていくのが分かった。
 観光客で賑わう京都で、こんなにも静かに自然と向き合えるお寺は多くないんじゃないだろうか。花背の地域は京都市にとって、もっと盛り上げていきたい地域らしいが、僕としては、このまま開発されず、静かな自然環境が続いてほしいと思う。HPもなくていい、1日2本のバスが通っていれば十分だ。

 このまま京都に帰るのも勿体無いので、比叡山の麓にある、山道具を取り扱うレストランに行こうと思い車を走らせた。しかし、お店にいくとワークショップのため休業と書かれていた。改めてHPを見てみると、しっかりと休業と書かれていた。どうしてもこのまま帰りたくなかった僕は、記憶の片隅にあった近辺の古本屋に足を運んだ。前を通ったことはあったが、実際に中に入るのは初めてだ。店主の女の人とお客さんと思われる人が楽しく談笑している。本以外にも、お酒や服も置いてある面白いお店。本の種類は旅関係が多く、眺めていて飽きなかった。欲しい本はかなりあったが、串田孫一の「旅の断章」、A・モラヴィアの「無関心な人びと」のみ購入。購入時、店主の女の人に声をかけられ、僕も話の輪に入れてもらった。僕の仕事の話、オンラインの怖さ、旅の話、会社員と個人の話なんかをした。こういう感じの会話久しぶりだった。京都に住んでいた時を思い出した。この寛容さだ、この時間の過ぎ方だ、この笑い方だ。帰りたくなかったけど、車だからお酒も飲めない、レンタカーも返さなきゃ。サヨナラ。

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