発熱のためお休します。
8月30日(日)

読了
「二十歳の原点」/高野悦子
鑑了
『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~』/代島治彦
今週の一曲 水中、それは苦しい「保育園落ちた、吉田死ね」
https://youtu.be/Y7Cn9ye5xHk?si=g9zOHKYtJ4Px13lM
Gel-〇〇を増やしていきたいと思い、アイテムを作り始める。Gel-アイテム(グッズ)だ。
特に公式に販売する予定もないのだが、自分のアイテムが手元に増えていくのは嬉しい。名刺とシールは作った。次はミニサコッシュやマグカップあたりだろうか。それにしても、Gel-blogを始めてから5年くらい経っている。管理サーバーの移行など色々変遷はあるが、グッズを作るとさらに愛着が湧いてくる。
年間で100冊の本と映画を見たい。週に2つ読み(観)終えれば(たまに3つ)達成できる目標だ。小さなルーティンを静かに積み上げていく。5年後には500冊(本)になっている。どんな思考、世界が広がっているだろうか。もちろん目標なので100を狙って80くらいを達成できればいい。映画は集中力がないので1日あたり1時間と決め、分けて観ていく。新しい場所に100個いくと言うのも考えたが、あまり現実的ではなかったな。そして読んだ本や映画を記録していく、記録できる便利なアプリがあるが、全てicloudのメモに残していくことにしている。シンプルでアプリが消滅する心配も限りなく少なく、複数端末で見られる。日記も食べたものも、体重も家計簿も全て記録する。
先週初めてジムに行った。ジムというものにずっと忌避感があった。一つの空間で、みんなで運動しているという構図があまり普遍的でないと思えたからだ。僕は高校時代から自主的にランニングと筋トレを行ってきて、運動するということは身体と主体性両方を鍛えるということだという思い込みで生きてきた。最近はもう暑くて、冬は寒くて、それらを理由にして走らない自分は怠惰で、環境に強制してもらうしかないといつまでも走らない気がした。いつも、暑さや紫外線などを避けるために、日の落ち始める夕刻に走るのだが、就寝までのスムーズなルーティンを実行するために、昼間に走って、夜は穏やかに過ごしたいという理由もあった。近くの市営ジムは1回620円、3ヶ月契約の定期料金だと月3700円ほどになる。大手のジムに比べるとかなり安い。簡単な健康診断とヒヤリングを受けて、トレッドミルの使い方を教わる。3km走って、階段昇降もした。運動しかしてはいけない環境にいると、不思議ともっと身体を動かしたい意欲が湧いてくる。周りの利用者の存在も大きい。この街には、健康のため(おそらく)に身体を動かしている人間が結構いるんだなあと思い、自分も負けてられないなと思うのだ。僕は基本的に有酸素運動に力を入れている。激しいウェイトトレーニングは、眼圧を高めて、緑内障発症リスクを上げてしまう。そこまで気にしているわけでもないが、リスクを取る場所は、もっと自分にとって重要な旅のときにしたい。ひとまず今週も行こうと思う。
人生で起きることは全て運命だと基本的に思っている。
自分の選択する行為全て、自分の意思で決定したとしても、そうなることは決まっている。選択に満足したり、後悔したりすることも全て決まっているのではないかと思う。このまま、これを続けるとやばいから、修正しよう。こういったときは、運命に逆らったような気もするが、そうすること自体が運命だったと俯瞰する。そうすることで、いろいろなことを運命のせいにできるから安易な思考なのかもしれない。
祖母の家にいき、ランチのコース料理をご馳走してもらう。4時間ほど、運ばれてくる料理をゆっくりと食べていた。とても久しぶりのコース料理だったが、自分はコース料理が好きだということに改めて気づいた。時間をかけて、食べるという行為だけを楽しむ時間はとても贅沢だ。こういうものにお金と時間を使っていきたい。なにが出てくるかだけ事前に教えてくれればもっと嬉しい。
新聞社のデジタル記事が読めるサブスクに登録する。
8/24 月

鑑了
「御上先生」宮崎陽平/TBS/2025
今週の一曲 のっぺら「そういえば深海魚」
https://youtu.be/nejNHlW72gM?si=nk_G595HgJQhWP3g
ドラマ「御上先生」を見る。久しぶりにドラマをみた。面白くて2日間で見終わってしまった。
教師もののドラマを見ると教師いいなと毎回思うが、しばらくして忘れている。教師もののドラマでは「伝説の教師」「スクール!」あたりが好きだなあ。伝説の教師は中学生の頃かなり影響されて、セリフを覚えたり主人公がいつもカーディガンを着ていることに影響されて、今でもよくカーディガンを着ている。
「御上先生」の中で、脳のシナプス?の発達は30歳以降に起こるらしい。そうなるためには、若い頃にどれだけ知識を詰め込んだかが重要だという。
自分のことを振り返ると、ろくに勉強せずに、のらりくらりと目的地までの最短ルートを選び取ってきた。言ってしまえば、まだ勉強というものを初めていない。
僕に脳のシナプスの発達とやらは訪れるのだろうか。
下鴨納涼古本まつりに行く。
京都に住んでいたときは、行ったことがなかった。
あの頃は、古本祭りが行われてる京都に住んでいるというだけで、謎の満足感があった。
約30万冊の本が売られているという。1日では見ることができず、2日間に分けてみる。
5冊の本と2つの栞を購入した。だいたいにおいて、孤独や喪失、死がテーマの本を選んだ。
いつか出店してみたい、大赤字でもいいから出店してみたい。大雨でも熱帯日でもいいから出店してみたい。
自由律俳句をいくつか考えた。
くしゃみして何ページかわからなくなる
夜風が気持ちいと思ったら扇風機だった
メガネを忘れて網戸に突っ込む
あと一段あったのか
昔聞いたダジャレを自分が言ってる
こんなところに鰻屋だ
カレーの匂いはうちではなかったか
一緒に読書しよう 「本を読むだけの35分」
https://youtu.be/c5pockh6GRs?si=V6hEzkql9yrQvQ7y
写真/下鴨納涼古本まつりにて
8/17 月
鑑了
「海街diary」是枝裕和/ FILM/2015
「この世界に19文字の文章など存在しない」小林賢太郎/パルコ/2026
Gel-voice 2026年8月10日
https://youtu.be/EChSLrQcUuk
最近のことを音声の形でお届けしています。
楽しいですが、手間がすごいので続けるかは不明です、、
今週の一曲 田辺マモル「ハワイの詩」
https://youtu.be/NTWZZ-PyDMU?si=Q-U1VCGh_KV6m3Ql
人は無から生まれてやがて無に帰る、世界のことを知ったのも束の間、また何もない世界に戻される。その儚さを感じると、今から行うすべての行動に対して気力がなくなる。旅をする、人にあう、本を読む、ギターを弾く。純粋に自分がしたいと思うことはそれくらいだ。いずれは無に帰るとしても、身体が自然に求める動作はしていきたい。それをするために対処しなければならない問題は多くある。対処する時間が多くなる人生にはしたくない。
人生で決断に迫られた時は、影響を受けた誰かを心に置いてみる。彼、彼女ならどうするか。にその話をしても恥ずかしくないのかを考える。たいてい、決断を迫られるときは、切羽詰まっていて、彼らを想像することができない。決断したあとに、彼らが頭の中に出てきてため息をつかれるというのが常だ。
僕は色々旅をしてきたけど、毎日散歩している人に比べたらすぐに追い抜かされてしまう距離しか歩いていない。距離だけでいうと、家の周りで世界一周することもあり得るわけだ。
ブログデザインを変えています。トップページに新着記事が並ぶ仕様でしたが、それを辞めてメニューボタンから記事を見れるようにしました。クリックの手間はありますが、新着記事があるカテゴリーの横に光が灯るようになっていますので、無駄なクリックはしなくて済みます(履歴を削除したり、ブラウザを更新しないままにすると機能しません)。
写真/洋食店を彩るデスクライト

走行距離 3km
今週の一曲 高木正勝「熱風」
https://www.youtube.com/watch?v=rRJuF27nEG4
生きているといろんな不安に襲われることがある。その不安が、心配になりすぎているだけのものなのか、本当に向き合わなければならない問題なのか、よくわからなくなるときがある。
自分の思考や行動において理想とするものはあれど、そうできていない、あるいは実行したが、失敗のまめ終わっていたら。思考が人を作っているのか、行動が人を作っているのか。自分が自分たり得るためにはどうしたらいいのか。
自分の問題については最後は自分自身で解決するしかない。周りがいくら良い環境を用意してくれたり、手を握っていてくれても、解決は自分でしないといけない。孤独からは逃れることはできないが、一時的な安心感を得て、孤独ではないと脳を誤認させて生きていく。
写真/約11年ぶりにパソコンを買い替える。りんごマークはもう光らない

読了本
『明日死ぬとしたら何をするか』寺山修司 興陽館 2024
『わたしのはたらき』西村佳哲 弘文堂 2011
『野心のすすめ』林真理子 講談社現代新書 2013
今週の一曲 ジッタリン・ジン 「青いカナリア」
https://youtu.be/AiiktgfUAmg?si=q81aaUsJcdkeoHSW
先週はほとんど外出しなかった。
体調を崩したのもあったが全部夏のせいにして、頑なに外に出なかった。
せめて本だけは読んでおこうと思った。9時ごろに起きて、昼に軽食を食べ、本を開き、読み終えるまで座り続けるという3日間を過ごした。
その3日間が終わると、本を開く気力すら無くなって、堕落していった。堕落した日々を過ごしていると、誰か(何か)と繋がっていない時間がとても不安になる。
そんななか、腕立てせ、腹筋、スクワット、踵上げを行った日、少しの間だけだけど、とても清々しかった。
2kmだけ歩いた日、美しい夕焼けに出合ったが、眩しさ鬱陶しく感じるほど、心が落ち着いていない。
先日円グラフを書いて、日々をルーティン化したはずだったが、上手くいっていない。
上手くいっていないということは無理のある設定だったということか、自分の好きではないことが紛れ込んでいたのかもしれない。
これ以上ハードルを低くしても仕方がないのだが、さらに下げる必要がある。おそらく環境の変化に頼ってしまってたほうが早いのだが。
いつもの失敗のパターンだが、
少食なのにお腹が空いているからといって大盛りを食べて吐いてしまった。
「生きるエネルギーをすごく持っていらっしゃる。
死火山でもなく、休火山でもない。噴火はまだしていないが、確実にマグマはあり、出しどころを迷っているだけです」
そう言ってくれる人がいた。僕のことを励まそうとしているのか、本心からなのかわからない。僕と話したことで、良い時間を過ごせたな、楽しめたなと思ってくれていたら嬉しい。
生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦
今ある不満や至らなさ、悲しみは全て存在すべくしているものであるということに、以上の言葉から気付かされる。苦しみは確かに存在するものだということを受け入れなければならない。そのことを理解したうえで、ときに流れに身を任せ、ときに逆らいながら懸命に生きてみたい。
写真/姉のカナダ土産
7月27日(月)

読了
『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子/講談社/2022
鑑了
『メモリィズ』坂西未郁/リトルモア/2026
今週の一曲 タテタカコ「宝石」
https://youtu.be/UGiSB7n1tiQ?si=Qdst0MmPGrlYhEaZ
大学時代京都に4年ほど住んでいて、卒業後も関西にいることが多かったにもかかわらず、今年初めて祇園祭に出向いた。夏になると祇園祭という言葉だけはよく耳に入るが、いつの間にか終わっているというのが常だった。
屋台と人がひしめき合う通りを歩く。よくある祭りの楽しい混雑さだ。四条通りに出ると鉾が各所に建てられているのが見える。ちょうど太鼓と擦り鐘の演奏に立ちあい、しばらく聞き入る。馴染みのないリズムで奏でられる音色を聞いていると、この世ではないどこかに連れていかれそうな気がした。屋台や人の喧騒と交わることのない空間があった。
「山岳民族と装身具vol3」の展示を見にいく。タイのカレン族が、銀の含有量が多いカレンシルバーを手作業で加工して作ったアクセサリーや民族衣装の生地を再利用したポーチなどが並ぶ。
姫路駅構内のベンチに座っていると、隣にお婆さんが座る。両手でクーリッシュを持って両足をプラプラと揺らしながら可愛く飲んでいる。「今日は暑いですね」と声をかけられ、しばらくの間、他愛もない会話をする。お婆さんが80を超えており、ひ孫が5人いるということ、緑内障だということ、スマホやガラケーを持っていないということ。15分ほど話して「そろそろバスの時間だから」と言って西に歩いて行った。
暑い。エアコンなしでは厳しいものがある。エアコンがなければ生活が難しいとなると、もう地球はとっくに人間が住める環境ではなくなっているのかもしれない。
写真/鉾並ぶ四条通り
7月21日(火)遅れてすみません

読了本
『躁鬱大学』坂口恭平/新潮文庫/2023
『中学生のためのテストの段取り講座』坂口恭平/晶文社/2022
『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』高村友也/同文館出版/2015
今週の一曲 池間由布子「まいそう」
https://youtu.be/LfQxcmJ8q1U?si=c_A_upRgtskLhYBY
後悔するたびに、幾つのもあったはずの可能性について考える。ああしておくべきだった、もっとできたはずだ。実際に過去に戻って別の選択肢をとった場合、出会えない人も当然出てくる。彼らを知った状態で、彼らを切り捨てる選択はきっと出来はしない。人生は常に2択の連続だ。その選択を大体において僕ははずしてきた気がする。
幸せに生きるために記憶を改竄しなければならない。決してトレードオフではなかったものをトレードオフだったことにする。失ったものの大きさを脳に誤認させ、心を軽くして次の一歩を踏み出せるようにするためだ。
人に会ったり、旅に行ったりする用事がない場合の1日の休日ルーティンを作ってみる。ネットに転がっている24時間の円グラフを印刷し、予定を書き込んでいく。すると、今まで怠惰に過ごして日々が嘘のように、身体がグラフ通りに動きたがる。全てを見える化し、タスク化することは大事だ。細かければ細かいほどいいと思う。もっとも良かったことは、余計なことを考える時間が少なくなったことだ。
残りの人生の時間について、最近よく考える。たとえば、10分が経過すれば、今10分寿命がなくなったなと思う。今から外に出て、30分ランニングをして、心肺機能を鍛えて心臓を強くすれば10分くらいは寿命を延ばせるのだろうか。そんなことを考える。100歳まで生きれば大往生、26歳で死ねば早世や夭逝などと言われる。74年という月日が長いのか短いのか最近わからない。長く生きれるに越したことはないが、長い人類史のなかでは、ほんの僅かな差に過ぎないし、誰しもに訪れる死という圧倒的な無の世界の前では年数は意味をなさないような気がする。何歳になっても死にたくないし、何歳になっても昨日のことのように思い出せる記憶は存在する。自分の意志や認識と関係なく動き続ける心臓に怖さを感じる。自分の生命を維持するという、もっとも重要な臓器について意識する時間はとても少なく、またコントロールすることもできない。
常に流行が作られる。いつも、遅れていますよ、あなた!と画面越しに言われる。画面を閉じてしまえば、幼少期と生活はあまり変わっていないようにも思う。不安を煽るのはやめてほしい。やめてください。
写真/いろんなものがあったけど、なにもなかった店のなか
7月12日(日)
読了本
『ドイツ人が教えてくれた ストレスを溜めない生き方』久保田 由希/産業編集センター/2018
『書きたい生活』僕のマリ/柏書房/2023
今週の一曲 mabuchi 「香り」
https://youtu.be/9w2C7F5T0v0?si=x5QpBn2Ezhr2g3BF
いろいろ年齢で人生の節目だと言われることがあるけども、幾つもの無意識な状態での選択が大きく人生を変えていることのほうが多いのではないだろうか。そして、知らない間に他人の人生を変えている(あるいは変えてしまっている)こともまた多いと思う。
客観的には、やりたいからやっているように見えることを義務のように感じてしていることが多い。本を読むこと、山に行くこと、歌を作ること。心から何かをしたいと思うことは少ない。承認を求めているのか、他人から見える自分をよく見せたいという見栄なのか、わからない。僕は本当は何がしたくて、どこにいくたくて、何をしていたらつまらなく感じるんだろうか。
振り返ってみると、自分に降りかかってきた問題というのは、孤独が引き起こしたものが多い。身体的、精神的なもの、全てを含んだ問題についてだ。孤独でなければ防げたかもしれない。誰かと居ても孤独を感じること、孤独をより強く作り出してしまうこともある。誰といるかを決めるのは、孤独にとって重要なことだ。
僕は、やっぱり何かを作ることが好きなんだと思う。
誰かが書いた上手な文章や歌を見たり聞いたりして、気持ち良くなるよりも不恰好でもいいから自分で何か作ってみて、満足せずにうーんって悩んでいたい。
お風呂に入る、歯磨き(1日2~3回)する、寝る前にコンタクト(1日8時間)を外す、日記を書く、睡眠(7~8時間)をとる、食事をする(添加物、揚げ物など避ける)。水(市販もしくは浄水)を1.5L・緑茶1~2杯(茶葉と急須で)を飲む。これは最低限のことだ。できれば守りたい。可能なら運動する、本を読む、文章を書く、ギターを弾く、笑う、人に会う、旅に出る。そうことができる人間に、私はなりたい。もっと可能なら、SNSをできるだけみない(簡易的に脳に報酬を与える系)、心が痛むニュースを避ける(自分の体調優先)、選択の主体を常に自分にする、目や歯の定期検診・健康診断にちゃんといく、瞑想する、人に頼る、食べ物だけでなく、生き方もオーガニックにしていく。
幼稚園のころエレクトーンを習っていて、先生は僕の親に
Gelくんは歌いたい歌しか歌わないし、弾きたい曲しか弾きません。興味のない歌と曲はやりません。と言っていたらしい。中学生くらいから、今の僕が出来上がったのだと思っていたけど、ほとんど生まれたときから変わっていないじゃないか。
もうすぐ七夕だ。
無病息災。穏やかで健やかな日々が長く続きますように
願い事の最後、「ように」以外にふさわしい言葉って何かあるのかな
自分を肯定するために記憶を改竄する必要がある。
写真/ある山の麓に咲くガクアジサイ
7月6日(月)
読了本
『キャッチャーインザライ』J・D・サリンジャー(村上春樹訳)/白水社/2003
『生き延びるための事務』坂口恭平/マガジンハウス/2024
今週の一曲 希「木霊」
https://youtu.be/DExAzPOYqxo?si=zDQbkooTzhXImIuu
映画『ラストレター(岩井俊二監督)』に出てくる阿藤という人物。何者かになりたくて、何者にもなれなかった人物として描かれる。時々思い出して、自分と照らし合わせて怖くなことがある。
人間は完璧ではない。社会もまた完璧ではない。不完全なもの同士が寄り添い合い、コミュニティを形成し、不完全な社会に対応していく。その姿はとても美しい。
本を読み、歌を作り、ブログを書き、数万歩の歩き旅をして、ヘルシーな食事をとる。充実しているはずなのに、これではないという感じ。ただ、行動の選択の主体は、以前より自分であることが多い。考えられないまま、自分が流されることは少ない。
0か100で考える癖をやめたい。大きな目標を掲げすぎて、ステップがいくらあっても足りなくなり、やがてステップ自体に疲れて、何もできなくて頓挫する場合が多い。少しずつでもいい、小さな目標を達成し続けるんだ。小さな冒険のつながりは、いつか大きな冒険に変わる。いい人生とは何か。たくさん本を読んだことか、たくさんの景色を見たことか。たくさん歩いたことか。人からたくさん褒められることか。違う。そんなこと考えなくてもいいくらい、人生に夢中になれたかだ。
家族のつながりは刹那的だと感じる。うちでいうと大体一世代で一つの家を建てている。子孫がその家に住み続ける感じではない。代が変われば、家や人が変わっていくが、家系というものは持続していく。親と共に生きられる時間は約50年ほどで、親が死んだら、自分が家系の代表になり、子供を産まなければ(産めない場合もある)あっけなく家系が終わる。親と子供の生き方は、もちろん同じではないが、親と同じように安定した仕事をしていなければ、家系の持続は難しい。僕自身、家族のつながりを強く感じることは少ないが、ときどき、いつかやってくる別れと孤独について考えて不安になる。
会話や何かを見たときに耳から入った言葉は、本を読むときにその単語がよく目にとまる。理解できずに読み流している言葉はきっと多いんだろうな。
身体に入るものを変えていく、オーガニック革命だ!
写真/大和神社(奈良県)に棲まう猫
6月29日(月)
読了本『その日暮らし』森まゆみ/みすず書房/2000
今週の一曲。momo 「私たちの夜」
https://youtu.be/aN2izB9nTz0?si=mdtrPM73xFU2TC2S
自我が芽生えたときのことを思い出した。中学の授業のとき、国語の教科書の音読を指示された生徒が、嫌ですと言って、しばらく教師とやりとりが続いたあとに、拒否権あるだろと叫んでいた。よくふざける生徒だったので、冗談まじりで言っていたのだと思うが、僕自身はかなりハッとした。自分に拒否権(あるいは一旦考えてみるということ)があるなんて考えたこともなかった。指示された通りに物事を遂行し、何か言われたらイエスと答える(音読をはじめ、予防注射を受けなさいなども)ことが普遍的なことだと思っていたが、そうではない。自分で決めていいのだ。決めるまでしばらく立ち止まってもいいのだ。嫌なことを発言してもいいのだ。自分の身体に初めて意識が宿った感覚だった。
山に登ったり、街で楽しく過ごしている時の自分と、家でYouTubeを見ている自分が同じ人間とは思えない。
少子化は問題で子供を増やすことは重要かもしれないが、今生きている人間の苦しみを少なくして自殺者を増加させないこともまた重要だと思う。
生きるって楽しい。世界を認識することが面白すぎる。机の上にあるペットボトルの水を見てるだけでワクワクしてくる。
お金があると不健康を買える。どうしても生存欲求以上のものを求めてしまうんだ。
人生一度きりという言葉が以前とは全く違うように聞こえる。本当に一度きりなのだ。もはやこの人生、この身体しかない。やりたいことはすぐやるしかないし、会いたい人にはすぐ会うしかない。もちろん、めんどくさいときもあるよ。魅力的な他人に会うと、世界が開かれ、無限の可能性を考えてしまうが、自分の人生の連続性を無視できない。
いろんな旅や体験を行ってきたつもりだけど、それを分析できる自分以外の視点を持っていたら、もっと没頭できたり、知り得なかった学びがあったかもしれない。
写真/ある収録を行いました(photo by 谷野里空)
6月22日(月)
読了本
『伊豆踊り子』川端康成/新潮文庫/1950
『書くことの不純』角幡唯介/中央公論新社/2024
今週の一曲。井上園子「カウボウイの口癖」
https://youtu.be/glcGdGil_8I?si=ROeyeGOP4667vIHa
地元の美容院へ行く。賑やかな雰囲気が苦手なので、たいてい個人でやっている美容院を選ぶ。よく話してくださる笑顔の素敵な美容師さんだった。話のオチと散髪終了のタイミングが合わず、話の尺を稼ぐためだけに髪を切られている時間があった。
橿原市にある重要伝統的建造物群保存地区、今井町へ足を運ぶ。江戸時代の建造物が残る街の中にカフェや珈琲焙煎所が点在する。個性豊かな店主が営んでおり、話しているだけで面白い。おそらく大切にしている価値観や想像可能な気遣いの範囲などが似ているからか、初対面でも通じ合うところがある。
奈良のとある丘陵を約16km縦走する。よく通っていた峠から見え、市街地の中に延びる特徴的な地形に惹かれて、いつか行ってみたいという思いだった。距離から考えられるほど過酷ではなく、市街地の近くにありながらも、しっかりと自然を満喫できた。
通りがかったお店に目をやるとたくさんの人が話しながら食事をしている。この街にはこんなにも人がいたのかと思わされる。そして、自分もそのなかの一人だということを実感する。自分のことを特別だと思っているのは自分だけで、大多数の中のちっぽけな個人に過ぎない。多くの人を目にすればするほど、その思いは強くなる。決して悲観的な意味ではない。かといって楽観的になれるわけでもない。
最寄り駅を降り駐輪場へ向かう途中、小・中学生のときの友人を目にする。会うのは10年ぶりだったろうか。僕らが住んでいるのは学校区の端っこで、生徒もそれほど多くない。一緒に登下校したり、ゲームをしたりする仲だった。思い切って話しかけると、すぐに名前を言ってくれた。昨日も一昨日もそうしてきたかのように、二人並んで話しながら自転車で帰った。
ヒコロヒーさんのラジオ「仮説の仮説」が面白い。
なんとなく不安に感じるのは、知識がないからだ。適切な知識は安堵、希望、覚悟、そして諦めをもたらす。
写真/今井文庫というカフェにて。貸出可能な本が多くある。アナログな管理シートが良い
6月15日(月)


幾人かの後輩と旅や人生の話をしたりするなかで、自分が何年も同じ問題について悩んでいることに気がつく。しかし、なぜかいつも新鮮味があって、話していて飽きない。自分が停滞しているのか、動き続けているからこそ、問題への意識が継続して高いのか。なんにせよ同じ温度感、目線で話せる仲間がいるというのはありがたい。
自分が昔何気なくしていた行いについて、何年も感謝されたり、覚えていてもらえたりすると少し申し訳ない気持ちになる。誰かを助ける行為のなかに、社会や構造に対する小さな反発も含まれていたりして、個人に対する純粋な救済ではなかったのでは考えてしまうときもある。
新しい旅を小さく始める。今のところ充実感は非常に高い。どういう結果になるかはまだわからない。できること、できないこと、やりたいことを曖昧に分けながら、慎重に進めていきたい。今まで写真を撮ってばかりで、触れるということが少なかった。道標、木々、石ころ、ガンガン触っていきたい。アウラを感じたい。
山頂を目指すと評価の対象になる。いかに頂を踏まずして、遠くまで移動できるかということを意識しながら活動していきたい。
写真左/3年ぶりに出身大学へ。進路相談をする 写真右/「菊の香に くらがりのぼる 節句かな」松尾芭蕉 1799年建立 勧成院(大阪)にて
6月8日(月)


ズームレンズから単焦点レンズに変えたい。移動の主体は自分なので、ズームで色々と時間を取られてカメラのために動いている感覚を少なくしたい。綺麗な写真も撮りたい。
地元の図書館に約十数年の時を経て再訪。貸出カードを作ろうとしたが、一度作った記録があるらしいので、紛失扱いになった。1996年の開館から、カード作成者すべてのデータは残っているようだ。健康についての本を10冊借りてきた。
世の中は元気な人が中心となって回している。また元気になったら会いましょう。では元気じゃない時は誰に会えばいいのか。
知り合いの古本屋の店主は夏にパキスタンに行くらしい。ナンガパルバットの南壁を見に行くという。素晴らしい行動力。心が動いちゃうね。
鴨川沿い、金管楽器の音が聞こえる。吹いている人は昔と当然違うのだろうけれど、蘇る思い出は変わらない。僕も知らない間に誰かの記憶の着火装置になっているのかもしれない。
この人(または景色など)に出会うために明日も生きたいなあという感覚、最近わかってきた気がする。そのためには健康が必要なわけです。そういう人(他者、自分両方を含む)が昔からいたら、いたことに気づいていれば何か違っていただろうか。鱈とレバーばかり食べて、お腹がいっぱいになってきた。
本当の自分を手に入れるためには孤独が必要だと思っていたが、それは本当の自分なんてものがあると信じている思考からくる甘えだ。どこにいても、誰といても、僕は僕で僕にしかなれない。
写真左/喫茶アカリマチ(阿波座) 写真右/京都のとある山中にて
6/1(月)

読了
『森の生活 上 ウォールデン』H.D.ソロー/岩波文庫/1995
『森の生活 下 ウォールデン』H.D.ソロー/岩波文庫/1995(こちらはまだ読書中)
正論しか書いていなく、しんどくなってくる。完全に社会から離れて暮らすことはできない、この本みたいに達観することはできない。
全ての土台は健康。それしかない。今までそれを意識せず、前提としてあるものとして動いていたせいで、今ひどく後悔している。逆に今考えられて良かったとも言える。そういう価値転換をしながら、人は前を向いて生きていく。最近考えすぎて頭が痛いし気持ち悪い。答えのないことばかり考えている。人に話せば楽になるのかい。みうらじゅんさんの比較三原則を守ろうとしているけど、やはり難しい。行きたいところはある、しかし移動が苦痛に感じる。旅行は旅より難しい。時間はあっても金がない、金があっても時間がない、金と時間があっても体力と気力がない。だいたいこのどれかに当てはまる。小豆島や似島に行きたい。新しい景色にたくさん出合う方が良いのか、同じ景色を何度も見に行って、いつも違う発見がある方がいいのか。
近々、大学生あたりから自分が何をしてきたのかを細かく書き出してみる予定だ。自分はどのように時間を過ごしてきたのかということを書いてみる。それが、達成感になるのか、もっとできたのかなと思うのかわからない。不安症日記、健康初心者日記も構想中。本当にいらないものが多すぎる。何もいらなかった。全てここに初めからあった。
新曲ができた。タイトルはまだできていない。雑誌の記事を書いたり、ブログを書いたり曲を作ったり、やはり生産は楽しい。お金にはならない。
歌詞をここに書き記す。
俯きながら 見る景色 いつもより綺麗で
訳もなく 疲れているの 涙も枯れたわ
船が 見えた時には 二人で手を振った
花が 舞った初夏の日 笑いあったね
夜になったら踊りましょう ひたすら西へ歩きましょう
あなたの話聞かせてね 昨日と同じ話でもいいの
私 あなたの話 なぜだか いつも違う相槌ができるの 不思議ね
何もかも 閉ざされた 世界の中心で
私たち 一番の 幸せ者だと
勘違いをしたいの 全てを切り捨てて
それができた時には 頭を撫でてね
朝になったら眠りましょう 夢のつづき見れるかしら
あなたの隣落ち着くわ 昨日と同じ寝相ね 愛している
私 あなたの寝言 なぜだか 寝ても覚めても覚えてる
何もしない日があってもいいでしょう 時の限り思いを巡らせて
未来の話 好きじゃないの 思い出だけが全てなの
私 後悔ばかり なぜだが いつも 違う未来を夢見てる 不思議ね 素敵ね
何も見えなくなるまで あなたと世界が見たい
何も聞こえなくなるまで あなたと話していたい
声が出せなくなるまで 私 歌い続けたいの
5/24


大阪の家を引き払う。やることも場所も変わる。振り出しに戻ったのか、方向転換の途中なのかはわからない。幻なのはわかっているが、何もかもが終わった途端に過去の全てが愛おしくなり、思い出は最上級に美化される。
新しいことも始まろうとしている。変化が訪れなければ、その始まりはなかったかもしれない。関係性の変わった優しい人々にも出会えなかったかもしれない。
退去立ち会いのとき、申告が必要そうな自分でつけた床の傷がどうしても見つけられず、黙っておけばいいのもを、「きっとあるはずなんです、簡単には見逃せないほどの傷が」と言って1時間以上立ち合い人の前で探し続け、彼らは呆れた様子で四つん這いで動き回る僕を見ていた。
1年間通った京都でのライティング講座が終わる。そこで作成する雑誌原稿も書き上げた。おかげ参り失敗道中記&インタビュー記事を組み合わせた記事になる予定だ。季節が変わる頃にはお見せできればと思う。
予定もないのにパスポートを受け取る。
自意識があることは自覚した、自認はできないままでいる。
写真左/全て未完読の良いとこ取り 写真右/天王寺動物園にて
5/18

読了
『海の向こうで戦争が始まる』村上龍/講談社/1977
『SPECTATOR55号 にっぽんの漂泊民』幻冬舎/2026
友人が新曲をリリースしたみたいだ。働いていた時から力をもらっている。楽しそうでよかった。会話から思考を理解するのも大事、作品から思考を感じるのも大事。
ぐるぐる思考をしている場合ではない、本を読んでいる場合ではない、ランニングと筋トレをしている場合ではない、原稿を書かなければならない。原稿を書くための体力をつけなければならない。原稿を書くための資料を読まなければならない。
明日生きていることを前提にものを考えてみよう。前提がないと何も始まらない。欲求の段階を少しずつ上げていきたい。
自問に自答できない!
5/11

直近の読書記録
「漬物桶に塩ふれと母は産んだか」(尾崎放哉)
「人間が人間らしく振る舞えるのは群れていない時だけだ」(伊坂幸太郎)
川上未映子さんの「りぼん通信」に課金。
村上春樹についてのエッセイを読みたくて。
5/1